和紙づくり

☆二俣の和紙づくりの歩み

1 地元の伝承では、719年に医王山を開いた泰澄大師(福井の今立町という和紙の産地に生まれた人)がこの地に製紙法を伝えたとか、1449年に蓮如上人が北陸に布教の途中、本泉寺に寄った際に技術を伝えたとか言われています。

2 1583年、前田利家が加賀の国に入ると、以前から二俣が紙の産地であることを知っていたので、紙を注文するとともに保護しました。藩では二俣の紙を御料紙(藩主が公式儀礼に用いる紙や藩主一族が日常生活で使用する紙)として使いました。御料紙を漉いていた人たちは、俗に「お紙屋」と呼ばれ、藩から年間十石の米と名字帯刀を許されていました。二俣の紙漉きの技術は向上し、「加賀奉書」として全国的にも知れわたるようになりました。二俣の全戸が何らかのかたちで紙漉きに携わっていたといわれています。田島も早くから製紙が行われていましたが、藩の御用も特別の保護もありませんでした。1694年、藩に御料紙すき上げの願いを出し、最初のうちは認められませんでしたが、その後、田島の9戸が許しを受け、製紙業者がしだいに増加してきました。 そして二俣・田島一帯は紙すきの里として知られるようになりました。

3 明治維新により、加賀藩はなくなり、紙製造業者は大きな痛手を受けることになりま した。しかしその後、学校教育がさかんとなり習字用の中折紙を多く製造するようになりました。明治22、3年頃から西洋紙が普及してきたため、藁を原料とした藁半紙なども製造しましたが、西洋紙に押されて徐々に衰退していきました。

4 戦時中は障子紙、習字用紙、ちり紙、箔下紙などを主に作っていました。戦後すぐは手漉き紙の需要もありましたが、製紙業界に大企業が進出してくると、紙漉きをやめる家が目立ってきました。現在では特殊民芸紙、箔打ち紙を作っている数戸となりました。

☆ 二俣、田島で早くから紙漉きが行われるようになった理由
  ○ 山地には紙の原料となる「山楮」が自生していたこと。
  ○ 二俣には豊吉川、田島には田島川等の清らかな水の流れがあること。
  ○ 医王山に多くの寺があり、僧侶が写経の必要から麓の村に紙を求めたこと。

☆ 和紙の原料
  ・良い原料は「こうぞ」「みつまた」「がんぴ」の三種類。
  ・けやき、杉、くぬぎ、竹、草等全部紙になります。しかし、良い紙にはなりません。

  ○こうぞ(楮)・・・・・・・繊維が10mm〜20mmと長いので強くて絡みやすい。
                繊維と繊維が絡み合うほど丈夫な紙ができる。
  ○みつまた(三椏)・・繊維の長さ 5mm〜6mm。
                きれいに仕上がるので習字の紙に良い。
  ○がんぴ(雁皮)・・・・繊維の長さは5mm前後と短い。半透明で光沢がある。
          
   ※ 楮と三椏は畑に作れるが、雁皮は天然のものだけ。

☆和紙の作り方
 @ 原木を刈る
   ・楮は一度、畑に植えると毎年刈る事ができる。
   ・葉が落ちた頃(10)月〜12月頃)に刈る。
 A 皮をはぐ
   ・刈った原木を、乾燥しないうちに束にして、大釜で蒸して、皮を剥ぎやすくする。
   ・蒸し終わった原木は、熱いうちに手で皮を剥ぐ。剥いだ皮を黒皮という。
   ・剥いだ黒皮を水に浸し、もみながら表皮を洗い流す。さらに、表面に着いている小さな表皮を包丁で削り、繊維質だけを残す。これを白皮という。
 B 煮る
   ・白皮に含まれている不純物を溶かすために、木灰やソーダ灰などを加えて、大釜で煮る。
   ・煮終わった白皮をよく水洗いし、さらに小さな塵やゴミを取り除く。 
 C たたく(叩解(こうかい))                                                 
   ・石の台の上で叩く。繊維が綿のような小さな薄片になるまで(ボタボタになるまで)たたく。この段階が一番大事。
 D 紙漉き                                                          
   ・漉き漕の中に繊維の薄片(紙の原料)・ネリ・水を入れ、よくかき混ぜる。槽の中で薄くトロトロになった繊維の上部を簾桁(すけた)に汲み、液が一様になるようにして漉きあげる。
 E 圧搾
   ・漉き終わったぬれ紙を何枚も重ね、圧搾して水分を除く。
 F 乾燥
   ・湿った紙をねじばんを使い半乾きにしてから紙干し板に貼るか、中に蒸気を入れた鉄板にはりつけて乾かす。
 
  ※1 ネリ
      植物(とろろあおい)の根を掘り起こして洗って水の中につけておく。やわらかくなったらつぶすと、ねばっこい汁が出る(ネリ)。適当に混ぜると槽の中の繊維が沈まなくなる。
  ※2 簾桁(すけた)
      紙を漉く時に用いる道具。簾は竹のひごを生糸で編んで作る。桁(枠)は400年以上たった檜で作ったもの。

☆紙すきに使う用具
   紙肝煎をしていた島友吉さん方には、次のような品があったことが記録に残っている。また紙すきの家として園田家の家屋は道具一式とともに湯湧の江戸村に移築されている。
   ○ 一つ   大奉書板   くさまき     ○ 十枚   大杉原板    とち
   ○ 一枚   中杉板    とち       ○ 一艘    紙すきふね  くさまき
   ○ 一艘   阿く出ふね  くさまき     ○ 五つ   紙桶       くさまき
   ○ 五つ   手桶      くさまき     ○ 五つ   湯桶       くさまき
   ○ 二一   紙はんきり           ○ 二十具  紙すきす
   ○ 二十具  紙すきけた
                            等々の品々の名称や数、幅・厚さ・長さ・深さなど寸法も記されている。

☆紙すきの里・古里館(館長 小松喜代司さん) 金沢市二俣町ハ4 236−1512
 紙すき(和紙づくり)を体験できる施設として1990年に設立。
 切り絵・押し葉などをすき込み、色紙・短冊・葉書・名刺等を自らの手で美しい作品を仕上げることができる(紙すき料金は有料)他、二俣和紙の展示即売もしている。
 また、米作り道具・山仕事道具・紙すき道具・生活道具等々の展示もあり、明治から昭和への山村のくらしの様子が一目でわかる民俗資料館ともなっている。
 (民俗資料の観覧については無料)
   開館時間  AM9:00〜PM4:00
    紙すきを実際に行いたい場合は、原料等の都合上3日前までに予約しておくこと。
    古里館に連絡がつかない場合は公民館の方に連絡しておいてもよい。

☆校区内で紙漉きをされておいでる方
 ○斉藤 博さん(二俣町)    ○坂本宗一郎さん(二俣町)     ○小松秀雄さん(二俣町)     ○田村君子さん(田島町)

☆備考(参考文献等)
 ○『医王 医王山校百周年記念誌』(昭和50年発行・P89〜106等)
 ○『二俣の和紙』平成10年医王山中学校3年
 ○ 紙すきの里・古里館(館長 小松喜代司さん)